松高7期ホーランエンヤ同窓会
ー平成21年5月15日開催ー

平成21年6月6日
新谷 智人 
(昭和31年卒)

 松高6期「どげな会」さんのホーランエンヤ同窓会の様子、拝見させていただき、さすが先輩だけあってたい

ようきちょうごしないたね
したものですね、しかし、わしら7期も負けちょらんで、7期同窓会は人数こそ、先輩方に敬意を表して80名に抑制しましたが、みな元気溌剌、夕陽に染まる宍道湖、嫁が島を見渡しながら、「どげな会」さんの会場の近く、「ホテルなにわ一水」で開かれました。先輩方は、やる気満々の女性軍に男性軍はおされ気味のご様子ですが、7期はまだかろうじて男性軍がんばって、6割強が男性でした。関東からは、ツアー仕立てでやってきた10名を含んで20名、関西からも4名が参加しました。

 同窓会は開会1時間前の受付けから、すでに前座が始まります。何しろ何年ぶりの再会、それなりに年齢を刻み、見ただけではすぐに誰かとはわからない。もらった名簿と見比べながら、声をかけ、かけられながらしているうちに高校生の昔に戻り、元気か、どうしている、だれそれの様子はと、消息を確かめ合います。やがて開会、なつかしの山脈浮かびてから始まる校歌を3番全部元気いっぱい斉唱、この席にでることなく世を去らざるを得なかったクラスメートたちに愛惜の黙祷、そして世話役の挨拶が終わるとやっとお待ちかねの乾杯、楽しいクラス会がはじまりました。

今晩は、しばらく振りです(同窓会ラッシュで校旗払底、弓道旗を拝借)

 はじめは、指定された席にかしこまってしばらく様子見していたものも、注いで注がれるうちにたちまち本性があらわれ、あちこちの席に移動し、旧知をみつけては、なんのはばかりなく慣れ親しんだ出雲弁を駆使し、その文化性の高さをしみじみとかみしめるのでした。ある人は、立ち上がり、しばらく続けていた水彩画の個展をちょうどこの時期にふるさとで開いていることを紹介し、また、他の人は、クラス仲間でクルーを組み、ホーランエンヤに協賛して、宍道湖にのぼりを立てて漕ぎ出したことを報告して喝采を浴びました。

ちょっと様子見

ホーランエンヤ協賛松高7期クルー

 誰かは、かってのマドンナを見つけ、この機会にこそと、何十年もの沈黙のあと名乗りを上げ、そんな人知らないわといわれたのにもめげず手を差し出し、やさしくそれをとってもらって、千里の道を遠しとせず来た甲斐があったと、感激に浸るすがたも、


どげしちょうかね、元気かや


7,8ルーム勢ぞろい

 それぞれのルームごとの撮影も終わり、やがて、嫁が島も闇の中に沈み、対岸の灯だけが湖面に映るころ、東京の幹事から東京会の案内があり、これを締めとして、名残を惜しみながら閉会、あとは思い思いの場所に散り、二次会、三次会、深夜早朝まで心ゆくまで飲み、歌い、踊って、次の日のホーランエンヤを迎えました。

 当日は、予報は雨70%といいながら、行列の始まって終わるまでは雨降らず、さすが神の国ですね、先輩方ほどの政治性のない7期は、桟敷席の確保はできなかったもののそれぞれ頭を働かせ、日ごろ培った人間関係を駆使し、お神酒、串かつの差し入れ付き席料なしの全天候型の特等席をゲットするものも。やっぱり花見には団子がありませんとね、
 絢爛豪華な水上絵巻、12年毎のホーランエンヤはいつも丑年、7期は丑年生まれがほとんどというのに
、今までみたことなかった人も大勢いました。このタイミングに同窓会を企画してくれた松江の幹事の方々に感謝、ついでに、それならいままでもホーランエンヤのときに丑年同窓会をやってくれたらよかったのにと言ってもそれは下種のあと知恵、それこそ後の祭り、では、こんどからと、古希を終わった万年青年が12年後に思いをはせる元気のいい提案は提案として、船行列のすばらしさは、「どげな会」さんから詳しく紹介されているので割愛、後継者の問題はどこも、困っちょうが、馬潟船の船首でこどもが剣櫂役でおどっちょって、こらええ按配だわや、だんだん。      右の写真は山陰中央新報から転載





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