「どげな会」とホーランエンヤ 平成21年5月24日
松高第六期生(昭和30年卒)の集まりを俗称「どげな会」という。(文章:石倉義朗) (写真:小林茂光) どげなはご存知の「元気ですか」と言う方言。東京で始まり、大阪、地元松江へと火がついた。30年近く各地で毎年行っていたものの70歳を機に統一して順番におこなうことにした。 今年は「松江どげな会」の番。しかもいわずと知れたホーランエンヤの年である。 私たちは鼠 丑年生まれであるから12年に一度のホーランエンヤ年男といってもいいだろう。 ホーランエンヤ渡御祭の前日、5月15日の午後6時からホテル一畑で「もう今年のホーランエンヤが見納めか」と軽口をたたきながら集まった総数130名。まことに盛大な会となった。ちなみに男女の比率は 男性60名、女性70名。この比率を女性のほうが元気だと受け止めるべきか、すでに私たちの世代になると女性に財布の実権を握られているためと判断すべきかわからない。卒業生総数600名弱。他界したもの54名。 ![]() 総数130名の大同窓会(昭和30年卒ー6期ー) ![]() 熱気に包まれた会場 @ 嫁が島の正式な地名を答えよ。 A 嫁が島の面積を答えよ。坪数で。 答えは@が松江市浜乃木1丁目1番地。Aは800坪。ただAは年月の経過でどう見ても島が削られていてそれより小さいのではないかという意見が多かった。 さてホーランエンヤ当日。ホーランエンヤの日には絶対に雨が降らないという伝説があるそうだがこの日は早朝から暗雲が重く垂れ込めていた。それでも宿から見ていると5時にはもう松江大橋を始め橋と言う橋は黒山の人。新聞報道によると当日は13万5千人の見物客があったという。 ![]() 早朝から川沿いを埋め尽くした黒山の人 「どげな会」は帰省組のために松江の幹事が獅子奮迅の努力をして向島に設置された有料観覧席を60席確保してくれておりまさに殿様気取りだった。 午前10時過ぎ、宍道湖大橋南詰めから出発した櫂伝馬船は色鮮やかな旗をなびかせ、まずは大海崎が姿を現す。「ホーランエンヤ、ヤッサノサッサ」と掛け声も勇ましく 呼吸のぴったりあった櫂が美しい。勇壮な剣櫂の舞と華麗な采振り(女形)の舞に拍手がわく。女形に扮する中学生が現代っ子らしくスリムな体形でかっこいい。続いて福富、大井、矢田、そしてトリは馬潟と各々の地区を誇りに絢爛豪華な飾りをつけた櫂伝場船が水上絵巻を繰り広げる。 歌舞伎役者よろしくひいきの櫂伝馬船が通る度に観覧席から大きな声が飛び交う。櫂伝馬船はほぼ大橋川の中央に停留している神輿船(城山稲荷の神霊)の廻りを大きく右回りに二回旋回したあと 118艘(神輿船や神器船など)の船団を曳航して阿太加夜神社へ下って行った。その間約30分。セレモニーの終わりを待っていたかのように 雨粒が落ちてきた。 ![]() 向島に設けられた観覧席から俯瞰した絢爛豪華な櫂伝馬船 ホーランエンヤを見終わった後「どけな会」はまたまた打ち上げの昼食会を白鳥会館で催した。出席者55名。 特別な話があるわけでもないが「あげだ、こげだ」と何度話しても松高を卒業して54年の歳月は埋まりそうもなかった。 |