J・サロン
平成23年5月20日 
小林茂光(S・30年卒)

 仲間入りしている俳句結社YのRさんからこっそりと『麻雀が出来ますか』と思い掛けない質問を受けた。

 うん学生時代からだから雀暦は長く大好きだが勘定を他人まかせだったので点の計算は今でもいい加減だがね、と答えた。Rさんは最近女性の為の麻雀教室へ通い始めた由でいま麻雀に熱中している。

 俳句仲間に同じ教室へ通っている人が他にもいるが教室の古参メンバーには新入りに対してルールや躾に厳し過ぎるし、意地悪な人も居るので、皆が不快で辟易するらしい。それでもそこの男の先生の指導が気に入っていて教室は辞めたくないという。

 気の合った同志で和気藹々と教室外でも楽しみながら上達したくて麻雀の自主クラブを立ち上げたいので・・・という相談だった。

 目下、指南役と仲間を募集中との事で私が遊びのベテランに見えたらしく、是非とも指導願いたくって声を掛けましたという。

 自主クラブの教師として彼女のメガネに叶ったものらしい。独断で少々いい加減な人選だなあ・・とは思ったが、「教うるは学ぶの半ば」(礼記)とか「We learn by teaching」など諺通り、教える事は学ぶ事でもある。

 これを機会に点勘定が早く確実に出来るように基礎から学び直すのもよかろう。要請は受ける事にして、適当なテキストを購入しメンバー集めにも協力した。

 俳句以外のサークル仲間で趣旨に合いそうな人に声を掛け三人の指南役の男性と六人の女性ビギナーからなるクラブ『J・サロン』が多摩センター駅程近くにあるマンションの集会所に誕生する事になった。Rさんの命名でいまは毎火曜日に集まっている。

 現役時代の同僚相手や近所に住むゴルフ仲間や旅行仲間との賭け麻雀はかなりヤクザなルールで行うので端から見れば目が血走って見えていたに違いない。麻雀の場合はゴルフの握りの数倍もの金が動く事が多い。

 今までの習慣から、賭けない麻雀なぞ考えにくく、それ無しには面白くないと思い込んでいた。それに男同志だと酒と肴が付き物、飲まない私も何かしらつまみを持参、振舞った上で自分も口に入れながら麻雀に興ずる。

 真剣勝負で負けが込むと小遣いにも事欠くし仕事や家庭での精神状態に影響が無いとは言えなかった。不健全な遊戯だった。
 
 ところが、この仲間との麻雀は勝手が違う。意外な事に賭けなしで結構面白い。齢を重ねて自分に内なる変化が進んだのか。

 今迄はスローペースな人に五秒十秒待たされるだけでいちいちいらいらしていた。

 私だけでなく三人してガミガミ言い、とげとげしい雰囲気だったが、今は、気分的には教師と生徒の関係で、待たされてもイライラの感情が左程湧かない。

 何よりも相手が女性で、何がしかでも若い生徒だからそう感じるに違いない。

 最近はこのJ・サロンで二卓分の人数が揃う事が多い。午前の第一戦が揃って終わるのを待ってワイワイガヤガヤと昼食を楽しむ。弁当とスリッパ持参で皆が集まっている。


 
 持参の弁当は私が作る。料理は以前から好きな方だった、月曜日になると明日の弁当のおかずを何にしよう、デザートは、スイーツは、ソフトドリンクはなどと思いをめぐらす。

 こんな事、他人には気持ちが悪いだろうが、本人は外聞など一向に気にならず弁当作りも苦で無くむしろ楽しみだ。草食系人間に変化したのかも知れない。

 進化したと言うべきか、退化したのか。男同志の賭場へチマチマと弁当持参なんて考えられない事だった。

 今、我が家は家内と二人だけの生活である。

 生徒が少し若い女性である事は判っている筈だが、家内はさしたる気にする事無く、私の弁当作りに何くれとなく協力している。こちらのほうも幾分変化したらしい。

 耄碌気味で何かとドジが多くなった亭主が生き生きと弁当作りをしている。たまに行う麻雀が頭と口と手足の体操にもたらす効能を評価しての事に違いない。
 
 指南役の三人の平均年齢は七十代半ばだろう。最近海外勤務を終えて帰国されたと聞くY氏は温厚で日頃は酒をこよなく愛する人らしい。近所のコミニュテイセンターで男の料理教室を最近立ち上げ主宰されているし、俳句結社Hの会報を作成してネットを通じて毎月の句会後に送っていただいている。綺麗な仕上がりで間違いも見掛け無いのでパソコンの名手で几帳面な方の様だ。

 もう一人のF氏が最年長らしいが、広告のデザイナーと聞いている。バス停が同じなので、奥さんと二人連れの所を時折見掛けるがお付き合いの度合はまだ浅いのでF氏の作品がどんなものかは見せて頂いてはいない。彼は機械操作が苦手で携帯メールもおぼつかない感じで苦労され、時折相談を受ける。

 サロンの運営はN子さんが差配してくれていてそのマンションの住人である。

 会員各自に二ヶ月位先までの予定を書き込める手作りの表を用意してくれている。

 自分の表を見て会合日ごとの参加人数を確認する。皆が全体の都合を優先し協力するから、各自火曜日の行動は若干制約を受けるが、電話やメール等で相互に調整する。

 先頃京都大の入試には悪用されたが携帯電話は何とも優れた機器に進化した。小さいのに能力抜群でなかなかの優れものである。

 新しい機種は驚くほど優れた機能に満ちている。分刻みで数年先の予定までも打ち込めるスケジュール機能、正確な現在地確認が可能なGPS機能、公共交通機関の乗り継ぎ場所と所用時間の検索アプリなど様々ソフトが用意されている。

 さらに、映像の電送、メールや辞書機能、インターネットが出来て音楽を聴き、テレビやラジオの視聴、ネットバンキングなど便利な機能が沢山活用出来るから本来の電話機能が翳むほどだ。

 先進国と低開発国間の経済格差の拡大が、南北問題と称して騒がれた様に個人の生活に於いてもITの活用能力の度合で年齢に関係なく文明度格差が益々大きくなるだろう。

 人に遅れない為には自分の能力開発をする努力、向上心、好奇心が大切で高齢や年齢差は二の次ではなかろうか・・・。
 と、世の進歩につくづく感じ入っている。

 ITの新しい機能を活用出来るか否か、新しいものにトライしてキャッチアップに努めるか否か、などで同年代の人でも今後は文明享受能力に益々大きな差が生ずるだろう。 私自身は新しい事に興味をもち続け、出来るだけ勝ち組の側に居たい。

 少し話が脇道にそれすぎたが、ともあれ、このサロンの会員が所有する携帯電話の機種や操作能力の進み具合にも拠るが、早晩この予定表の持ち歩きを廃止出来るだろう。
 今後、このJ・サロンがどの様に発展するかは不明だが先日会費の余剰金でキックオフイベントの第一弾として弁当を取り寄せ一同揃って発会式の食事を楽しんだ。目下はいい雰囲気のサロンだ。

 近々仲間で富士山の姿が良く見える山中湖畔の山荘で合宿計画を進めている。山荘近くの「文学の森」と言う公園内には五つの展示館がありそれぞれ館内には俳句や短歌の投稿用紙の備えがある。

 それらの中にこの地を愛し地元俳人育成に尽力した俳人富安風生を記念した俳句の館『風生庵』もある。麻雀を楽しみ同時に句会や吟行が出来たら楽しいだろう。

 麻雀が賭け事にしか見えなかった私に、この新しいサロンは別の楽しみと試練をも与えてくれる。
 衰えるばかりの老人の手指を皆に遅れる事のないように活発に動かす必要がある。 動きの鈍くなった脳の回転には油を差さねばならぬ。

 会話は耳の訓練になり、嬌声は老いて不感症気味の心を弾ませる。周りに負けず気の利いた反応をしようと背伸びをする心が口を滑らかにしてくれる。引き籠りにならず、医療費削減に寄与し、料理を考えレパートリー維持にも役立とう。

 実戦にあっては、賭が無い分、生徒に真剣さが欠如しがちなので、昔取った杵柄で容赦なく教育的指導をする事にしている。
 駄目だめだめ、勝敗は長期的には確率重視が必要。皆の捨て牌の推移で時々刻々と待つ牌の出現確率が変化するのだから、全体を見ながら頭を使って対応しなくては・・・。

 俳句結社の句会ではお互いを名前で呼ぶ、ここでも互に苗字でなく名前で呼ぶ。

 Mさん、出るチー出るポンじゃだめですよ。面前なら基本点も高く、リーチすれば手取りは少なくとも倍、もし裏ドラが一枚ついたならば四倍、二枚なら八倍だよ。

 ポンチー麻雀でなく芸術的で綺麗な役作りを楽しんだほうがワクワクして面白いよ。 我慢、我慢、まず我慢が大切です。

 終盤が近付いたら自分と周りの持点を素早く勘定し、或いは高く、或いは安く上がり、トップ賞を狙って臨機応変に・・・とか、

 R子さん!
 そりゃチョンボだよ。振り聴(てん)だよ。五面待ちになっているから捨て牌の中の七索でも上がれるよ。

 俳句では指導して頂く立場の先輩に対しても周りから容赦なくダメを出す。精神衛生上も極めてよろしい様に思われる。なによりアットホームな雰囲気で口からの栄養補給も手を伸ばして随時出来る。

 日頃俳句で季語や一字一句の添削の訓練に力を注ぐ俳人の卵からは言葉の勉強などでも裨益するところが多い。

 参加日に拘束される六〜七時間は惜しい気もするがサロン仲間との会話、頭の体操と手指の運動や繋がりは日常生活のアクセントで情報収集の場として老化防止にも何がしか寄与するであろう。

 誕生したばかりの『J・サロン』だが良い仲間の集まりとして発展するのを祈念したい。

 かつては紫煙にむせるのを我慢しながらの不健康な遊びだったが今は粋なネーミングの『J・サロン』の仲間達と穏やかな気分で過ごすのは概ね健全な憩いの時である。
 

付記・・・その後、F氏装丁の綺麗な広報書類や単行本を感心して拝見した。また、ビギナーの女性も一人増えて、組み合わせが楽になり楽しい日々が続いている。