山内了一氏出版記念祝賀パーテイーに出席して
〜幻の「ファーブル写真集」昆虫〜

平成20年12月27日  
石倉 義朗(30年卒) 

 山内了一さん(松江中学・第67期)が「ファーブルの写真集」昆虫を出版されたのを祝って、去る12月3日、国際文化会館で祝賀会が日仏150周年事業として盛大に開催され、作家なだいなだ氏や映画監督羽仁進氏など200人が集まって山内了一氏を讃えました。

山内了一さん近著

 ファーブルの「昆虫記」といえば 知らぬ人はいない。
 その著者 ジャン・アンリ・ファーブルの最愛の息子で彼の助手でもあったポールが当時の写真技術を駆使し「昆虫記」の素材として撮ったという貴重な写真集がなんと日本でしかも東京双松会の会員である山内了一さんの抄訳付きでこのほど出版された。この写真集はフランスでも原本がすでにないといわれることからまさしく幻の本の復刻である。

 山内了一さんがどうして「ファーブル写真集」昆虫にかかわることになったかについて慶応大学名誉教授でフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与している松原修一さんは「ファーブル写真集」昆虫の出版記念会の挨拶でこう言っている。

「この歴史的な写真集を出版するにあったって誰に抄訳を頼むかという相談を出版社から相談されたとき、全くためらうことなく山内了一さんを推した。それは彼が慶応大学大学院時代にデカルトとモンテーニュの比較研究をしていてそのフランス語の確かさは目を見張るものがあったことを知っていたからであるが、それよりもなによりも彼が大の昆虫好きであることを記憶していたからだった。

 何せ山内さんは昆虫採集に行き、昆虫の大群が飛んでくると捕獲した昆虫を網から籠に移す時間が勿体無く、昆虫を口いっぱいにくわえこんだまま網をふりまわしていたというエピソードの持ち主だからである。

 また発行人である新樹社澤近氏は「山内さんほど昆虫記を何度も原書で読破した人はいないだろう。それだけに 写真集も充実したものとなり本当にすばらしい人と出会えた」と山内さんに感謝の言葉を述べられた。

 さらに「ファーブルの写真集」昆虫は大型豪華本(2800円+税)で書店売りされているが12月現在初版はほぼ完売状態にあり新年早々増刷されるという。


中画像

昆虫の巣を掘り出しているポールとそれを見詰める両親。

 祝辞を述べる作家 なだいなだ氏


挨拶に立つ山内了一さん

なだ いなだ氏と握手する山内了一さん

二人は 慶応義塾の同期生、なだいなだ氏の奥様がフランス人であることから山内さんは大学院時代に研究レポートを随分みてもらったという。

著書のサイン攻めにあう山内了一さん(当日に持ち込まれた本は完売)

花束贈呈

ファーブルと写真を書いた松原秀一慶應義塾大学名誉教授と山内了一さんに花束が贈られた。花束を渡すのは山内さんのお孫さん。

山内了一氏 略歴

1929年松江市天神町生まれる。父親(以久士)は日本プロ野球公式記録員として「記録の神様」といわれ1985年に殿堂入りをした人。その父に子どもの頃、大杉栄訳の「昆虫記」をあたえられことがきっかけとなり了一氏は昆虫の採集、飼育に没頭。1948年伯耆大山でテツイロハナカミキリ大発生に遭遇、その事実が北隆館の昆虫図鑑に記載された。松江中学(第67期)、慶応義塾大学を経て1955年同大学院で「デカルトとモンテーニュの比較研究」を日本フランス文学会で発表。丸紅入社。1985年取締役産業機械本部長に就任。1988年(株)加地テック社長に就任。2004年ファーブル博物記「荒らし屋たち」邦訳(岩波書店)。ライフワークはフランスのモラリストの研究。

ココをクリックすると山内了一さんが松江市の広報誌(20年10月号)に投稿された「松江の皆さんこんにちは」をご覧になれます。