伯耆大山からニセコアンヌプリ
平成30年4月22日
中村康一(16期・昭和40年卒)

 1980年代の後半、初雪の便りが聞こえ始める頃だった。大学卒業以来、久しく連絡をしていなかったSS君から電話があった。

 「ニセコでペンションを始めた!」と。


ニセコアンヌプリ(標高1,308m) yo-tei.com

 その時以来、およそ30年、私はニセコでスキーを楽しんでいる。SS君こと、島谷昭一君は松江北高の同期生。彼はバドミントン部、私はサッカー部。あれは二年生の冬だったと記憶している。彼からスキーに誘われた。
 
 「コーイチ! 大山にスキーに行ってみんかや!」

 私は、たまたまスキーヤーだった叔父から道具一式を借りた。そして、二人で伯耆大山豪円山に当時では珍しいスキーバスに揺られて行った。私が初めて本物のスキー板を履いたのは、その時である。当時、私にとってスキーと言えば、松江市石橋町の実家に近いお寺、しだれ桜で知られる千手院さんの長い石段で遊んでいた自作の竹スキーである。

 あの時から、およそ50年、スキーの魅力にとりつかれた私は、今シーズンも積雪に恵まれた信州や上越の雪山をたっぷり楽しんだ。アフタースキーも楽しい。雪質の良い午前中はスキーがメイン、夕方早めに下山し、温泉で身体を癒した後は美味しい食べ物に地酒。


野沢温泉・毛無山山頂(標高1,645m)


野沢温泉スキー場中腹からの妙高山(標高2,454m)

 SS君とは大学時代にもよく一緒にスキーに行った。前日、彼の家に泊まり込みエッジの手入れをしたり、ブーツ(当時は革製)を磨いたりしたことをよく覚えている。スキー場は長野県の戸狩温泉が一番懐かしい。JR飯山線沿線の戸狩は日本有数の豪雪地帯で農家民宿発祥の地として有名とか。当時は、一泊二食、野沢菜漬け食べ放題で900円程だったと記憶している。忘れられないのは、私が不覚にもリフトから転げ落ちたことである。幸い低いリフトだったので何ともなかったが、体中が真っ赤になるように恥ずかしかった。彼からは、今でも会う度にこのことを冷やかされている。

 ご存じの通り、近年、ニセコはオーストラリア人を筆頭に外国人スキーヤーに大人気。彼のペンションの宿泊客で、私がたった一人の日本人だったことが何度もある。比羅夫の露天風呂で、私以外は全員外国人だったことも何度もある。長く外資系にいた私は、仕事では英語は日常語だったが、ゲレンデでも居酒屋でもラーメン屋でも英語が普通に飛び交っているニセコの光景に、最初は不思議な感覚を覚えた。今では、北海道だけではなく、野沢温泉も志賀高原も妙高高原も八方尾根も外国人スキーヤーで大盛況だ。

 今冬、野沢温泉のリフトでスイス人と隣り合わせになった時、こう尋ねた。「何故、スイスからわざわざ日本に?」彼はこう答えた。「アルプスは岩山。広くて見晴らしが良く、スピードは出せるが飽きてしまう。日本のように木々の間を縫って滑り降りる自然との一体感はあまり味わえない。日本は雪質も最高。」これは、圧雪整備されたゲレンデで滑るのではなくバックカントリー、サイドカントリーと言われるスキーである。私も今では森の中を滑るのも楽しんでいる。


石打丸山スキー場サイドカントリー

 SS君は損保会社に勤めていたが、その札幌支店時代に脱サラしてペンションのオーナーになり、ニセコに永住を決めた。オープン当時、周りには数件しかなかったが、あれから30数年、今では、"ニセコひらふペンション村"と呼ばれる程の盛況ぶりである。地価上昇率も日本有数だとか。

 2016年の冬、SS君は古希を機にペンションをオーストラリアの会社に譲った。オープンから35年が経っていた。そして、今春、ニセコから少し奥に入った昆布温泉に源泉かけ流し温泉付きの自宅を新築し、スキーの他、ゴルフ、テニスも楽しみながらの悠々自適の人生をスタートさせた。来シーズンは彼の新居にお世話になろうと思う。昔話だけではなく、これからの人生についても大いに語り合いたい。願わくば、お酒を飲みながら。ただ、彼は隠岐国、西郷町の生まれだが、残念ながら全く飲めないのだ。(笑)


SS君(左)とペンション前にて

 スキーは生涯スポーツと言われている。カナダのあるTV番組では、このようなことを言っていた。「個人スポーツで相手がいないからマイペース、自己判断、自己責任」そして、ニュートンの万有引力の法則に基づく重力に任せた落下。エンジンもブレーキもない。風を切る爽快感。恐怖と紙一重のスピードの快感。パウダースノーでの浮遊感。この感覚は性別、年齢を問わず、幼稚園児からシニアまで同じだ。

 大学卒業後、最初に勤めた会社の上司で今でも毎冬一緒にスキーを楽しむ先輩がいる。彼は私より一回り程年上、80歳を超えている。願わくは、私も見習いたいと思っている。その為、時間があれば脚力と体幹の維持に励んでいる日々である。言うまでもないが、時間は有り余るほどある。