第51回東京双松会総会報告

2006・10・07 

 去る9月30日(土)、東京虎ノ門霞ヶ関会館に於いて東京双松会(第51回)が開催されました。

 東京双松会とは関東地方在住の松江高校卒業者(松中、松高、北高、東校)の集いで今年は51回目の会合に当たります。登録会員1500人のうち、今回は学校側の参加者も含めて50人が参加しました。上は昭和18年卒、下は平成10年卒からの参加があり、老、壮、青の小ぶりの会合でしたが、少人数ゆえに交流密度の高い会合でした。

 出席者の名簿はココをクリックするとご覧になれます。

 冒頭に上村桂一郎東京双松会副会長、松本幹彦双松会会長、杉谷充久北高教頭先生、山田忠男東校校長先生にご挨拶をいただいた後、今回のメイン・テーマ「わが新聞部を語る」と題してパネル・トークに入り、かって新聞部に所属して活躍した7人の方々による当時の思い出話が披瀝されました。

松尾博志さん(36年卒)の熱弁、右は疋田美佐保 さん(37年卒)


藤井武彦さん(34年卒)、福本喜美恵さん(28年卒)、青砥紘さん(38年卒)

 学制改革で新生高校になった昭和24年から40年頃までは新聞部所属員が常時10人以上おり、学校側とは一定の距離を置き、独立性を保ちながら、記事の書き方、広告の取り方、編集のノウハウなど先輩から後輩へと受け継がれていった。過去には自衛隊関連のルポ記事が問題となり学校側から発禁措置が採られたこともあったように聞くが、少なくとも昭和30年代では学校側の規制があった記憶はなく、それだけ自由に新聞を作っていた。狭い新聞室でその時々の政治・社会問題を高校生の純粋な目で真正面から捉えて真剣に議論をし、記事にまとめた。そういう経験が社会人になってからのキャリアー構築の面で大変役に立ったように思う。
 最近の新聞部の活動といえば、部員の数も少なく、記事内容も校内の催し物を扱ったものが多いと聞く。受験勉強に偏ることなく、社会問題を真正面から捉えて熱く議論をしたかっての新聞部の熱気を思い起こしてもらいたいという気持ちや切なるものがある。  

大岩篤郎さん「カタリカタリ」独唱


岡弘道さんの独唱

 いささか堅いテーマの後、懇親会に入りましたが、アトラクションとして現役の声楽家として活躍されている大岩篤郎さん(42年卒)がイタリアのカンツオーネ、「カタリカタリ(つれない心)」を自らピアノを弾いて独唱されたのに続き、岡弘道さん(27年卒)が大岩さんの伴奏で滝廉太郎の「花」を独唱されるや、会場の雰囲気が一気に和み、懇親の和が広がって行きました。

平成卒の3人衆と世話役石倉義朗さん(30年卒)


最長老の飯塚敏雄さん(18年卒)と山田佐世子さん(41年卒)


杉谷充久北高教頭先生を囲んで

 なお、冒頭の4方のご挨拶の趣旨の紹介は最近、お手許へ配布された双松会会報第27号の内容とほぼ符合していますので省略させていただきました。

                  文責:福間三郎(昭和32年卒)



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