続いて庄司肇双松会々長が登壇され、以下のごとく挨拶されました。
昨年、松江北高創立135年記念総会には当東京双松会から泉事務局長をはじめ、200名以上のご参加を得て盛大に開催されたことをうれしく思う。また、芦田会長が触れられたごとく、最近の週刊エコノミストに北高が採りあげられたことを誇りに思う。2年前に植え替えた当高のシンボルであった2本松は冬の寒さが影響したのか完全に枯れ朽ちててしまった。今後の復活策について検討中である。毎年、会員に配布している会報は予算不足で苦戦している。会員諸氏からの寄付を募ることになるので、よろしくご協力願いたい。 ご来賓の挨拶が終わったところで、泉宏佳事務局長の活動報告、前島紀夫会計担当(s38年卒・14期)の会計報告、島村武宣監事(s38年卒・14期)の報告があり満場一致で承認された。 一連の挨拶が終わったところで、恒例の高校時代の「部活動」の報告に移りました。本年の報告は「演劇部」、登壇されたのは昭和38年卒・12期生の青砥洋さん、児童劇団「大きな夢」の代表者として、全国的にご活躍されていることは、みなさん既にご存じのところです。 青砥さんはNHK放送劇団〜劇団「昴」を経て、劇団「四季」へ移られ、「四季」でのミュージカル体験を生かして平成5年、児童劇団「大きな夢」を結成、現在、全国24ヶ所に500人の団員を擁する同劇団の代表として、精力的に子供ミュージカルに取り組み、子供の情操教育に取り組んでおられます。講演の概要をまとめました。舌足らずの段、ご容赦下さい。
同氏は父上が画材店を営んでおられたため、幼少のころから絵を描かされ、それなりの絵を描いていたと思う。両親から将来画家になることの期待が強すぎたせいか、絵を描くことに興味が薄れてきた、ちょうどその頃、ラジオから流れて来た松江放送局の児童劇団の団員募集の放送を耳にし、応募したところ、運よく合格、子役として多くのドラマに出演させてもらい、NHKがあった床机山に毎日のように通った。松江高校でも演劇部に所属し、将来は役者になると決めていた。
松江放送局でお世話になったディレクターが東京に転勤になり、当時のNHKの人気ラヂオドラマ「1丁目1番地」を担当することになり、私も誘われてレギュラーとして出演したのをきっかけに芸能界に身を置くことになった。以来、1000本以上のラジオ・テレビドラマやナレーションの仕事をやって来た。しかし、舞台に立つ役者になる夢は捨てがたく、劇団「昴」に客員として所属し、福田恒存師の指導を受けながら舞台活動に励んだ。 しかし、ここでの人間関係が基で5年で身を引き、帝国ホテルで土日に行われる結婚式の司会をやりながら食い繋いでいたが、やはり役者への思いは絶ちがたく、40歳後半になってオーディションを受け、劇団「四季」に入団、ミュージカルの舞台に立った。しかし、ここでも自分の理想と周囲の軋轢から2年で退団、自分の理想を果たすべく、平成5年、自分が住んでいる東京都稲城市で所属人数10名足らずの小さな地域児童劇団を結成、「大きな夢」劇団と名付けた。ミュージカルを通して、演技による「表現力」、「理解力」、「温感・歌唱力」「運動力」の要素が詰まっている情操教育であるという同氏の思いが広く受け入れられ、今では全国24ヶ所に拡がり、各地で年一度の公演を行っている。 ココをクリックすると青砥洋さんの児童劇団のミュージカルへの思いが伺えます。 懇親会は出席者最高齢の山口琢磨さん(s17年卒)の乾杯の音頭で開催されました。山口さんは現在でも船舶設計会社の社長を務めておられ、2010年には船舶技術のイノベーションに対して与えられるアメリカのスペリー賞を受賞され、そのメダルを披露されました。また、大岩篤郎さん(s42年卒)ご夫妻の歌の披露もあって、盛り上がりました。以下に盛会を極めた懇親会の模様を紹介します。 ![]() 右が山口琢磨さん(s17年卒)、メダルを披露しているのは西村次郎さん(s30年卒)
![]() 大岩篤郎さんのリードで校歌斉唱。 ここをクリックするとグループ別に撮った記念写真をご覧になれます。 文責 (HP担当 福間三郎)
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