書評: シリーズ藩物語「松江藩」(現代書館) 著者 石井 悠


 「松江」を故郷として語るとき、郷愁というより、誇らしい気分が先行する。

 啄木が懐かしむ田舎でも、犀星が語る郷愁とも違う、私個人の「故郷」ではなく、誰もが認める日本の故郷の姿が「松江」にはある、とそんな思いにとらわれている自分がいる。

 穏やかな山脈、宍道湖の静かに光る湖面、広い空にむくむくと広がる雲の姿、そんな自然に囲まれて、川にかかる大橋と連担する町並み、点景としての松江城、全体が一幅の自然風景として景観が広がる。松江には日本の近世の原風景が宿っているように思われる。

 そんな「松江」の町は「松平」氏の町でもある。松江開府は堀尾氏によるが、現在の15代まで続く歴史の中で松江の風土は醸し出されてきた。城下の姿、庶民の暮らしぶり、そしてその典型はお茶であろう。

 私事だが、実家は洋服の仕立てを生業としていたが、午前中食間に一服、午後も3時に一服が習慣で、この間お客が立ち寄ればその都度お茶をたてた。和菓子は常備品だった。お茶の習慣が和菓子を育てる風土。こうした穏やかな暮らしぶり、そしてある種上品な佇まいは、自然風土とともに歴史の中で育まれてきたものに違いない。

 こうした気分を伝える城下町は松江だけといっていい。それは「松江藩」の歴史を引き継ぐ我々の自慢でもある。ところが、そんな松江藩、松平氏の城下町でありながら、実際には藩祖直政公や7代治郷公以外には、どのような藩主がいて,どのような政事が行われていたかはあまり知られていない。

 そんな我々に「松江」を知る絶好の書籍が出版された。現代書館という出版社から、全国の各「藩」をシリーズとしてまとめた「藩物語」が出版されているが、今回いよいよ「松江藩」が登場することになった。

 執筆は松江北高14期卒で、島根県教育委員会当時は荒神谷遺跡発掘調査に従事し、史跡調査で多くの実績を持つ、石井 悠氏である。

 氏は発掘調査に臨むように、膨大な資料を読み解き、そして丹念に事実を積み上げ、松平二百数十年の治政の流れを、時に通説を解き明かしたり、あるいは松平藩にも謀反の動きがあったことなどを明かしながら、筆を進めていく。

 その作業は古代出雲を語るようなロマンを膨らませる作業とは異なり、どこまでも実証に基づかなければならない。

 氏は時代、場所、人物を克明に追いながら記述しており、まるで地誌書を読むようにリアリティーに富んでおり、時に意外に身近なところで事柄が進展していたりする。「松江」を故郷として持つものとして、しっかりと頭の中に納めておかねばならない歴史書が上梓されたことを喜びたい。

 是非一度手に取って、ご一読をお薦めしたい。

        ・書籍名:シリーズ藩物語「松江藩」 著者:石井 悠(はるか)

        ・出版社:現代書館  1600円
       
                                 平成24年8月25日

                            (文責: 泉 宏佳・38年卒・14期生)