(その2)

平成20年12月5日
加田 禮造

『 余生(サヤ)か 』


        トンビ着て歩く姿も今は無き
                 されどわれのみ喜びて着ぬ

        名誉欲金銭欲も既に無き
                 余生清かに夫婦過ごせば

        欲無きと短歌に詠めども朝明けに
                 株価の推移先ず読みており

        お祝や励ましの便り次々と
                 来たりて再び船旅を想う

        ふるさとで回覧したりと旅日記
                 伝える学友も喜寿となりけり

        最愛の人逝きしあと寂しくも
                 健気に生きる友髪白し

        南洋の土着の人ら唄いしは
                 「海ゆかば」なり思い新たに

        アーリランの譯問えどもコリアンの
                 答える人の無きて寂しき

        相場なき(ド)(ニチ)の虚しき時に酌む
                 明日のチャートに望みかけつつ

        七彩のテープ輝き銅鑼響き
                 我が乗る「飛鳥」いま出航す

        航跡を眺むれば人生重なりて
                 吾が来し道の茫々と消ゆ

        大海原眺むるクルージング顧みて
                 妻と余生明るく生きむ

        幾許(イクバク)の余生か知らねど穏やかに
                 過ごせばよしと戌年元旦

        打診せば「三合まで」と限界を
                 声高に宣す医師微笑みて

        常に見る患者のわれらお互いに
                 挨拶もせず放射線待ち

        「癌」更に「大動脈の解離」をも
                 宣告される末期かわれは

        妻子らと細々(コマゴマ)語りて夜更けぬ
                  過ぎし日の気概彷彿として

 現在、家族と「黄泉への旅立ち」に準備没頭している最中である。企画の中心は勿論自分自身である。
 悔いのない人生だった終末に笑って逝ける己も「本当に幸せな人生だった」と思っているし、好きな事を好きな様に思う存分やって来たから満足であったと得心している。
 従って、真から感謝して逝くわれは幸福である。
 即ち「加田禮造の雄叫び!」である。 (続く)