![]() (その4ー了) 平成21年2月1日
加田 禮造 エドワード・G.サイデンステッカー先生との元々の縁は新宿の「利佳」である。歌舞伎町にある会員制割烹でママさんは安藤美智子さん。会員といっても格式の高い会員制で、大半は大学教授やジャーナリスト、弁護士で我々の様な営業組織を基盤とする会社役員は約10パーセント位であった。著名な方ばかりで特に政治家は入れない不文律があったのもママさんの経営方針であった。酒を飲んでも飲まれない品格と知識があり、口角泡を飛ばしても内容は素晴らしい格調高い議論であった。
従って、「利佳」を「利佳大学」と呼称したのである。 勿論、学長は安藤美智子さんである。後援会長は歴代大変な方々の名士であったが、今は亡く相当の方々が鬼籍に入られた。サインデンステッカー先生は「源氏物語」を英語に完訳した日本文学研究の第一人者で、川端康成の「雪国」、谷崎潤一郎の「細雪」も英訳、特に川端康成は68年にノーベル文学賞を受賞した際、「半分は訳者の手柄」と称えた。
新宿の飲み友達に文士あり
サイデンスッテカー畏敬の人なり 「雪国」を訳したる文士逝きにけり 「利佳」で酌みつつ交友の人 「大松」の色紙渡せば歓喜さる 異人文士の或る日を偲ぶ 安藤学長も平成17年1月30日、黄泉へ旅立たれた。特に「利佳」への通学生は正論新聞三田和夫社長と二人で遊学研鑽に励んだ。三田和夫社長は元読売新聞社社会部記者で、特に昭和31年より昭和37年迄、NHK実話ドラマ「最後の事件記者」として大ヒットした物語の張本人であり、その筋の方面では下には置かぬ神話も数々存在する有名人物である。読売新聞の会長の渡辺恒雄氏等は後輩である。三田和夫氏と加田の二人で、中国へも度々行って各新聞社社長や省政府要人とも交友を図り、日中親善に寄与した。
その三田さんも平成15年2月に逝かれたので、遺言通り中国河南省開封へ行き黄河の辺りで散骨供養した。親族の方々は現場を熟知している加田が案内した。 その三田・加田二人の中へ入って来た俊秀なジャーナリストがいた。昨年から現在まで北朝鮮には必ずテレビでゲスト出演している毎日新聞編集局鈴木琢磨記者である。大阪外語大学出身で朝鮮語は勿論ベラベラである上、感性豊かで何しろ人柄が抜群に良い。毎日の記者だからTBSだけと思われるが、テレビ朝日、テレビ東京、NHK、何処からでもお呼びが来る程、東奔西走、今日(5月16日)横田滋氏訪韓についてアチコチの放映で解説している。凄い男だ。 昨年、「金正日と高英姫」の名著を出版して、折角出版祝杯をあげ様と思っていたが、女房が転倒負傷、そして小生が入院治療ということになって丁度十ヶ月ご無沙汰してしまった。改めて"琢ちゃん"と出版祝を企画したい。 昨年も船旅で仲良くなった「クーペ&シホ」の後援支援を依頼したところ、早速全国版でPRしてくれた。友情に厚い男である。お蔭で、日比谷音楽堂、国際フォーラム、そしてNHK全部満杯の盛況となった。 寿命さえあれば、又、「雄叫び」(第二部)を書く、思い出を残したいのである。 (了) |